インターゾーンの社員一人ひとりが持つ「理念手帳」。この「理念手帳」に記されている、ミッション・コアバリュー・ビジョンからなる企業理念には、7年もの歳月をかけてつくり上げられてきた背景があります。インターゾーンの企業理念をつくったきっかけから現在に至るまで、その試行錯誤の歴史を鏡山社長に語っていただきました。
会社の外に出て初めて、叩き込まれた理念の意味を理解できた
ー鏡山社長が企業理念について考えるきっかけになった出来事はありますか?
私はもともと、出光興産という石油メーカーに務めていました。2年ほど前に映画化された『海賊とよばれた男』という百田尚樹さんの小説をご存知でしょうか。その主人公のモデルになった出光佐三が創業した会社で、いわば”スーパー理念カンパニー”だったんですよ。当時は、入社すると3週間ひたすら理念を叩き込まれたりして、理念に対してあまりいいイメージを持っていませんでした。
その後、出光興産を辞めてから、次に経験した会社はものすごく体育会系で、会社としてあまりの違いにカルチャーショックを受けたんです。それがきっかけで、かつての上司に頼んで出光佐三の言葉がまとめられている本を5冊くらい送ってもらいました。改めてそれを読むと「この人は本気でこういう世の中を実現しようとしていたんだ」と感じたんです。つまり、会社の外に出て初めて、出光佐三の掲げていた理念を理解できたんですね。
会社に集って何かを成し遂げるには、共通認識=理念が必要
ーインターゾーンを創業して、最初に理念をつくったのはどのようなタイミングでしたか?
その会社を辞めてインターゾーンを創業した時には、会社として生きるか死ぬかという状況で、企業理念を考えるどころではありませんでした。ただ以前から知り合いだった不動産サイトの「HOME’S」を展開しているLIFULLの井上社長から「鏡山さんは何を軸に経営を考えているの?」と尋ねられていたことだけは記憶しています。当時、井上社長は「僕は京セラの創業者、稲盛さんの考え方を軸にしている」と言っていて。私はそれに対して「僕は出光佐三ですかね……」と、やや曖昧に答えていました。
それから数年が経つ中で、インターゾーンでは事業はまわり始めたけれども、なんだか社内が混乱しているような状況でした。例えば、社員に対する姿勢や考え方の違いから、創業初期メンバーの役員との間で対立が起きてしまったり。そういう出来事があって、会社の上に立つ人間の価値観が違うというのはダメだと痛感したんです。会社に集って何かを成し遂げるためには、共通認識が必要なのではないかと。そこで、インターゾーンの企業理念をつくるべきだと考えたんです。そのために、経営の思想や哲学を学ぼうと、稲盛さんが塾長をつとめる「盛和塾」へ入りました。それが、2007年頃のことです。
つくったものの浸透しない、今思えば”上辺だけ”の理念を掲げていた
ーその盛和塾で学んだ考え方をベースに、インターゾーンの最初の理念がつくられたわけですね。
そうです。ただ、稲盛さんは誰が聞いても「その通りだ!」と思うような、素晴らしいことを言うわけです。それを会社に持ち帰って実践しようとするんですが、自分の経験と結びついているものではないんですよね。だから、今見返すと上辺だけの言葉なんですよ。もちろん当時は、本当に良いと思って言っていたのですが、会社に持ち込んでもまったく浸透しませんでした。
その過程で、一番最初に入った新卒の社員が辞めてしまったり、「鏡山さんが言っていることと、他のメンバーがやっていることが違う」と言われたり、さまざまなことがありましたね。サービスの入れ替わりのタイミングだったこともあり、売り上げも伸び悩んでいました。盛和塾に入っていろいろ学んだけれど、結局のところ何もできていないということに改めて気付き、自分の気持ちに大きな変化がありました。そして2011年頃、インターゾーンの理念を作り直そうと考えたんです。
最初は社内の意見を取り入れながら少しずつ修正していたのですが、最終的には自分で決めようと思ってすべてをつくり上げました。その内容は、2013年頃にはA4のペーパーにまとまっていました。この時期は、インターゾーンが会社として伸びてきたタイミングでもあります。それからしばらくして、「この内容で行こう」と腹が決まったので、冊子にしようということになり、2014年頃には「理念手帳」の形になりました。
大切にしているのは、社員に”この理念をつくった経緯”を直接伝えること
ーそうやってできあがったのが、インターゾーンの全員に配られる「理念手帳」ということなんですね。
「理念手帳」は、基本的に2時間ほどの理念研修を行ってから渡しています。書いてある内容そのものも大事ですが、最も大事なのは、まさに今回お話したような「なぜこの理念をつくったか」という経緯の部分だと思っていて。みなさんには必ずそれを伝えてから、この「理念手帳」を受け取ってもらうようにしています。
そう考える理由は、私自身が出光興産に入った時に、あの出光佐三の立派な言葉を素直に受け入れられなかったからなんですよ。当時すでに出光佐三は亡くなっていたので、当然ながら直接会って話を聞く機会もありませんでした。でも、もし出光佐三の口からその言葉を聞いていたら、素直に理解できていたのではないかと思うんです。
だからこそ、インターゾーンの理念は言葉として掲げるだけでなく、ここに至るまでにどのような経緯があり、そして今こういうものを目指しているんだ、ということを私から直接みなさんに伝えて、理解してもらうことを大切にしています。
【続きは、次回の社長インタビューへ】
こうした試行錯誤の末、つくり上げられたインターゾーンの理念について、ミッション・コアバリュー・ビジョンのそれぞれに込めた思いを鏡山社長に聞いていきます!
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